根深ければ枝茂し。2500年の法灯と「報恩」の本質──宗祖報恩御会式・仏舎利拝観法要

去る11月15日、立正寺において「宗祖報恩御会式・仏舎利拝観法要」を厳修いたしました。 県内各寺院よりご出仕賜り、多くの檀信徒の皆様と共に、宗祖日蓮聖人への報恩感謝を捧げる一日となりましたことを、此処にご報告申し上げます。
悠久の時を超える「聖なるご縁」
本法要では、お釈迦さまより現世へと連綿と受け継がれてきた「仏舎利」の特別拝観を行いました。 2500年という悠久の時を超え、法灯が今、私たちの目の前に在ること。その不可思議な縁(えにし)に、参詣者一同で静かに合掌し、仏法の深淵なる流れに想いを致しました。
伝統と革新の融合──現代に問う「高座説教」
法要の締めくくりとして、副住職による「高座説教」を勤めさせていただきました。
日蓮宗の伝統的布教形態である高座説教独特の節回し──その聴覚的な荘厳さを守りつつ、今回は視覚的な補助としてモニターへのミラーリング技法を導入いたしました。これは、仏教の深遠な教えを現代の我々の生活感覚に即して直感的に理解していただくための試みです。
説教の主題は「報恩」について。 昨今、「終活」や「墓じまい」といった言葉が独り歩きし、形式的な整理ばかりが注目される傾向にあります。しかし、我々は立ち止まって考える必要があります。供養の功徳とは、一体何であるか、と。
「根」を知り、未来という「枝」を育む
日蓮聖人は『報恩抄』において、次のように記されています。
「根ふかければ枝しげし」
樹木において、目に見える枝葉の繁栄は、地中に隠れて見えない「根」の深さと広がりに支えられています。これを我々の人生に置き換えたとき、「根」とはすなわち、ご先祖様であり、私たちがこれまでに受けてきた数多の恩に他なりません。
私たちが今、此処に存在しているという事実。それは、親から受けた恩、師から受けた恩、数えきれない命と想いの連鎖の上に成り立つ奇跡的な結果です。
見えない「根」の存在に気づき、感謝の水を注ぐこと。それこそが、自らの人生という「枝葉」を豊かに茂らせ、次代へと命を繋いでいく唯一の道程です。これこそが、仏教が説く「供養」の功徳であり、「報恩」のあるべき姿といえましょう。
繰り弁が語る慈愛──『悲母の毛髪』
説教の後半、日蓮聖人のご生涯を語る「繰り弁(くりべん)」においては、『悲母の毛髪』の一節を引かせていただきました。 聖人がいかに母君を想い、その恩に報いようとされたか。その切実な慈愛の物語は、時代を超えて私たちの心に「恩」の重みを問いかけます。
この度の御会式が、皆様にとって自身の「根」を見つめ直し、明日への活力を養う契機となりましたならば、僧侶としてこれに勝る喜びはございません。
ご参詣いただきました皆様、ならびにご出仕の労を執られました各聖に、心より感謝申し上げます。
立正寺 〜人生の伴走者〜
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